支え合って生きていく
暮れに慌ただしく入院した。 留守の間、夫は日頃から洗濯は手伝っていてくれたので心配ないが、料理は全くしない。近所に住む姉や息子夫婦に助けてもらい本当に感謝している。 着替えなどは時々夫に持ってきてもらうがコロナで面会はで きず2階の病室の窓から下の駐車場を帰る夫の姿がいつもより 元気がなく本当に申し訳ない。 幸い1カ月ほどで退院した。 「お父さん大変だったね。ありがとう」と言うと、夫も「やっ...
View Article足の爪
少し反り返っている私の爪。 「あんたの爪はお父さんによう似とる」。母がよく言っていた。父の思い出に飢えていた私は、 母にそう言われるのが父に近づけるようでうれしかった。 父は私が9歳の時、亡くなった。その前2年は入院していたので一緒にいた時期は短い。...
View Article「払い戻し」貯金
宝くじの末等の数百円や、デ パートの買い物券でもらったお釣りを、プラスチックの貯金箱 に入れている。昨年は残念な臨時収入があったので、それを小 銭に両替して足した。 臨時収入とは、コロナによる演劇の上演中止のチケット代払い戻しと、飛行機減便のために上京を諦めた航空券の払い戻しである。 足掛け5カ月、毎月払い戻し を受け、貯金箱がいっぱいになると、郵便局で定額貯金にした。...
View Article花によせて
幼い頃、家の周りは雑木林や 畑、外に出ては母に問う「あれ は何、あの木は......」と。なぜ 草花がこんなに好きか、育った そばに溢れていたから? ユッ カは熱帯の蘭のように香り高く 威容を誇り、山吹は地に伸張し 樹勢があって放ると枸杞ともど も手に負えない。 虎の尾、曼珠沙華、カンナ、辛夷、金鳳花、どくだみ、大葉子、蓮華、覚えた花々のひとつひとつが思い出...
View Article紫禁城
中国・北京の世界遺産、紫禁城を観光したことがあった。そこが舞台の歴史ドラマの影響もあって、もう一度訪ねたい気持ちが増してきた。10年前、天安門広場は交通量も多かった。にもかかわらず走る車を尻目に縫うように横断する人がいた。思わず「危ない」と言うと、ガイドの青年が「ここは中国だから」。歴史の長い国なのだと誇らしげだったのが印象的だった。独学で学んだという流暢...
View Article夫婦仲良く
過ぎた日、大山 (鳥取県) の頂から日本海に浮かぶ島根県の隠岐諸島を見ていた。山頂には 地元の人らしい先客がいて、彼 は夫と私に島の名前を慈しむよ うに教えてくれた。「島前、島後」と教わった島 々はたなびく雲に結ばれて仲良く一つの島に見える。眺めながら折々の両親の言葉を思った。「夫婦仲よく暮らすのが一番の親孝行」 だと。...
View Articleうろこ雲
秋、高原のホテル、日が暮れて星座の説明があるというので客が広場に集まった。 全天にみごとなうろこ雲、その切れ目から半月がうっすらと雲を照らしている。ガイド氏は長い棒で指しながら、この辺りに○○座が、こちらには✖✖座があるのですが、と申し訳なさそうに季節の星空を説明した。 説明が終わったところで私は「この雲は高積雲と呼びます。...
View Article懐かしき思い出
小学6年の時、30名ほどの教室は楽しく、休み時間はあっという間で授業が始まってもガヤガヤが続いていた。先生のカミナリが落ちた。「机の上に正座」。机は本を入れるふた式になっていた。...
View Article明るい出会い
日差しがまだ残る午後3時。散歩に出かけた。 アオキの実が赤く色づき始めている公園を後 に、枯れ草広がる田んぼ道に降りた。 先生に引率された近くの支援学校生たちと出会った。 満面の笑みで口々にあいさつしてくれる。最後尾を歩いている少年は浪曲の語り口を思わせる口調で真剣につぶやいている。自作の物語のようだ。「上手ね...
View Article安堵の日々
自粛生活で夫と顔付き合わせ る時間が長くなった。 夫はのんびり私はせっかち。たわいない会話がいつしか言い合いに。 そんなある日、夫がふっと「今が一番楽しい」と言った。多病を患い、外出も一人ではままならないのに......。「へえー」と思いつつ夫の顔を見返した。 「実は私も同じことを思ってた」。楽しみの一つ一つを数え上げると「そうかー」と夫も意 外そうな顔をした。...
View Article月あかりと
このところ一寝入りしてトイ レに立つ2時から1時になると 窓が明るむ。何かしらと暗闇に 目を凝らすとお月さまのよう だ。ちょうど10日ばかりのこと で、曇った夜までは明るいので 深夜便を聞きながら鑑賞する。 夜中その月あかりは戸建ての お宅、つまり東側にあり、朝4時過ぎには南側の玄関の上に来 て煌々と小さく、あるときは大 きく照らしている。つまり地球 という船に乗って静々と移動し ている。...
View Article巣立つ孫たちへ
3月は進級、進学と人生の節目の季節である。私には3人の 子供と8人の孫がいる。それぞれ年を重ねて成長しているが、 幼い孫たちには未来がある。小鳥が親元離れて巣立つように孫 たちの成長が眼に浮かぶ。私は戦後の団塊の世代といわれた中学生時代、将来どうなるか分からない時、勉学の大事さを語ってくれた先生の一言を思い出している。...
View Article電話じゃうつらんが
電話の呼び出し音が鳴った。 が出ると古い友達だった。 元気がない。ん、病気か。沈 んだ声でぼそぼそと近況を語るが病気ではなさそう。 「自粛期間だから電話もメー 話ルもせんかった」と。 はぁ? ウイルスは電話じゃうつらんだろう。メールも関係ないじゃろう。 〝自粛〟という2文字は年寄 りをすっかり無精にして萎縮さ せた。いかん、いかん! 幸いにしてSNSという便利 な手立てがある。ああじゃこう...
View Articleステキな再会
小さい頃「姉ちゃん」と慕っ ていた81歳の従姉。この3年で 妹母夫を亡くし3人の子どもは 皆県外で、一人になった。 その従姉が骨折入院したこと で再び交流が始まった。入院中に読んだ鮫島純子さんの『97歳幸せな超ポジティブ生活』という本を勧めてくれた。読むと夫亡き後も「ありがとう」の心で 生き生きと生きておられる姿に 従姉同様感激し繰り返し読んで...
View Article冴える残月
防寒用ジャンパーに黒手袋、 白いマスクを着けて外に出る。 ゾクッとする寒さに身震いして急ぎ足、通りを横切り慣れたウオーキング路に出る。間もなく右手木の間越しに大きな月が見え隠れする。林を過ぎて明けた夜空、意外と明るく濃い藍色か緑色か、そして金色に冴える残月だ。満月に近い。右に見え、...
View Article父のいた風景
2年前隣町の本城小学校で読 書会の仲間が一人で読み聞かせをやっていた。それを助けるために初めて学校を訪れた時、校長室の壁に掛かる歴代校長の写真の中に父の写真を見つけた。父がここにいたころは、今よりずっと多くの児童がいて、学校行事も多く、にぎやかだった。 現在、各学年10人に満たないけれど一人一人の表情は生き生きとして、授業前のわずか15分の読み聞かせなのに児童の反応がよく、毎回元気をもらう。...
View Articleコロナ終点の日は何時
この歳になると、恙なく、ゆっくりと時を刻むのを願う私だったが、昨年、今年は全く違う思いになった。コロナ禍で終息の見えない日々。心身共にまいってしまう。関東の老健住まいの友からも「昨年来一歩も出られず、月1の病院通いだけ。世間を忘れそうだ」との電話に慰めの言葉も出ない。 ワクチンの輸入、4月中旬以降高齢者実施かの報道も耳にするが確約で はない。不安な日々がまだまだ:...
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