脳トレ
脳の活性化を意識して、毎日新聞のはがき随筆書きやカラオケを楽しんでいる。 しかし、昨今は脳の老化が進んでいるらしくて、物忘れが酷くなったなあと痛感している。 随筆の原稿を書いていると漢字のど忘れが多いので、辞書を手元に置いているありさまである。私の随筆が新聞に掲載されていると、この次もまた投稿するぞ、と元気が出てくる。...
View Article静電気
ある朝水道の蛇口に手を近づけると、指先にビリッと痛みが走った。静電気だ。私は静電気がたまりやすい体質で、冬になるときまって金属などに触れるとビリッとくる。 一方、静電気を帯びたものに触れても同様。冬は両手をポケットに入れ、なるべく周囲の物に触れないようにしている。...
View Article料理
母に料理を出す。甘いとか辛いとか、どんな言葉が飛び出すか。「これはうまい」と言うものなら私はうれしくて、天にも昇ったような心地になった。 母に気に入ってもらおう、褒めてもらおうと、母の好物を一生懸命に作った。その母も逝き、今は我が好物だけを作って食べる。うまいはずなのに、これがなんとも味気ない。家族でワイワイ言いながら食べるのが一番だ。...
View Articleその一口が……
常日ごろ痩せたいと思っている。料理も一品ずつ皿に盛り、2人でつついて食べていたが、コロナ禍で小皿に分けて食べることにした。 もともと小食な主人には私より少なめにするのだが、それでも残すことがある。ラップを掛けて冷蔵庫に入れても食べないと思うと私の口へ。 そのときいつも思うこと。「その一口が死を招く」「その一口を我慢でききたら」と。食べた後の後悔は、捨てるのモッタイナイからと言い訳に変わる。...
View Article生命の詩
父の没後、本紙を購読し始め、今の「はがき随筆」になる前の「みに随筆」にもかなり投稿してきた。 文章は、短ければやさしいものでもないから苦労したが、読書の数では人後に落ちないと投稿を続けた。 現在スクラップしているのが134編、3冊のノートに分割しているから、これを一冊の本にしたいと、各方面にあたってみるが、どうしてもうまくいかない。...
View Article春を待つ心
如月の風は少し肌をさすが、こよなく晴れた青空がいい。 五ヶ瀬川に目を移すと2羽の可愛いかいつぶり。つがい? 親子? 仲良くていい。ヤヤッ、1羽が潜った。そして思わぬ所に浮かぶ。春が近くにきている。引き寄せたい。 男性が私の顔を見に店に来たと言う。なんで? でも訳は告げずすぐに帰った。 春待ちの2月は一年のうちで一番淋しい月である。早く弥生の春が待たれる。草花は芽吹き、小鳥がさえずる。...
View Article阿蘇の野焼き
毎年、阿蘇外輪山で行われ千年も続いている野焼きは、春の訪れを知らせてくれる。私は10年間、その活動に参加した思い出がある。阿蘇の米塚一帯から放たれた火は短時間のうちに原野を真っ黒な平野にした。時には、炎の中からウサギやシカが飛び出し逃げ惑うこともあった。真っ黒になった原野は、春の訪れと共に新緑で覆われ新しい大地になる。...
View Article桜の花びら
今年の春、僕は卒業を迎えた。毎朝見てきた玄関の風景も、桜のピンク色に染まっていた。 僕は何気なくクラスメートとの時間を過ごしていたような気がする。コロナのせいであまり実感がもてなかった「卒業」という言葉だったけど、新しい扉を開けて振り返れば確かにそこに「卒業」があった。違う中学校へ進む友達との別れに寂しさもしっかり感じた。...
View Article敢えて考える
進化する機械で、破壊はいとも簡単。地下にも空にも自然にも侵食する人間。小粒だが、空間も歪む力持ち。地球だけでは事足りず宇宙までも采配を振る。だが底知れない違世界まで飛び出して、何処まで知り尽くしたいのだろう。...
View Article誕生日に
電話が鳴った。「今日、誕生日ですよね」といつもの声だ。毎年、忘れずに電話をくれる。小学生だった彼も、もう高校を卒業する。進路が決まったことも報告してくれた。 昨年、水色のハンカチをプレゼントしてくれた。5年2組の学級通信が「水色」というタイトルだった。大事な仕事のときに、お守り代りに必ず身に着けていることを伝えた。「ホントですか」と照れくさそうに喜ぶ声が返ってきた。...
View Article移籍選手の胸中思う
プロ野球の世界ではチーム強化のため、選手のトレードが当たり前のこととして行われる。対象選手の多くは、新チームで全力を尽くすとのコメントを残して去っていく。 しかし、その本当の気持ちはどうなのか、報道されるたびに気になっていた。20日付オピニオン面の「潮流 エースの情念」を読んで、そんな気掛かりについての答えをもらった。...
View Article元日の入院
新年早々病院のベッドで目が覚めた。「ここはどこですか」「元日の午前3時ごろ救急車で運ばれましたよ」と看護師さんは言われた。年越しそばを食べた後、床に入ったまでは覚えているが、その後は全く記憶がない。夜中にけいれんを起こし、容体がわるくなったので救急車を呼んだという。...
View Article2個の時計
昔、我が家は小さい店を営んでいた。7人の大家族で朝昼晩に柱時計は必需品だった。振り子の横に家族の名が書いてあり、父が毎朝ネジを巻いていた。 ポンポンと響き、カチカチと刻む。休むことなく時を知らせる時計は、家族の歴史を見守ってくれた。そして春、夏、秋、冬、1年、10年と過ぎ去って行く。...
View Article復活?
陽気にさそわれ気合を入れて外に出る。美しく整然と作られた庭ではなく自然のままなので草取りばあちゃんの作業でも、いきいきと輝く。 草丈が低く愛らしい黄水仙がぱっちりと花開いて、天に向かってバンザイをしている。秋にすてきな風景を見せてくれるホトトギスの濃い緑の葉っぱが、地上をはって横に横に広がっていく音が聞こえてきそう。鳥たちが背中をかすめて土に下り無心に餌をついばんでいる。ちょっと疲れたかな。...
View Article埼玉県民に戻る
関東平野の真ん中で生まれ育ち、初めて海を見たのは小学3年の遠足で行った東京湾だった。水平線と空の境目を飽きずに眺めていたのを半世紀以上たった今でも覚えている。 その後「海で泳ぎたい」とねだる私を、父は八王子のサマーランドに連れていってくれた。当時、人工の波が人気の施設だったが私は内心がっかりして「海は遠い」と心に刻んだ。...
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