戦時中、空襲が激しくなると学校での一斉授業ができなく、各地域に分散しての授業だった。集会所や神社が教室で、弁当も持って行けなかったので午前授業だったろう。学年ごとに集められた。神社の拝殿の厚い板にじかに座り、前に小さな黒板があるだけだった。
午後は神社の周りで遊んだり、防空壕に逃げ込んだりの生活だった。用語の「直角」と漢字の「草」を習ったことを覚えている。当時は勉強どころではなく、早く大きくなってお国のために働くことだった。いま神殿は改修されたが、入り口はなぜか鍵がかかり静かで寂しい。
出水市 畠中大喜 2017/11/23 毎日新聞鹿児島版掲載
午後は神社の周りで遊んだり、防空壕に逃げ込んだりの生活だった。用語の「直角」と漢字の「草」を習ったことを覚えている。当時は勉強どころではなく、早く大きくなってお国のために働くことだった。いま神殿は改修されたが、入り口はなぜか鍵がかかり静かで寂しい。
出水市 畠中大喜 2017/11/23 毎日新聞鹿児島版掲載