泣かせてください
長女の毒舌にまた傷つき、亡き両親の顔が浮かんで、泣けて仕方なかった。年を重ね、少々のことはケセラセラと流せるオバさんになったはずなのに、まだガラスのハートの私がいた。 お父さん、お母さん、成長できない娘を笑っていますか。いくつになっても泣きたい時があります。泣かせてください。...
View Article天気管
父の日に娘から贈り物が届いた。段ボール箱に「ガラス、こわれもの注意」のシールが貼られていたので、妻は「ワインかビールのグラス」と見立てた。箱には、入り口を閉じた試験管とガラス球2個をガラス管でつないだ理科実験室にありそうなオブジェが入っていた。...
View Article虫の勉強
ブロック塀に止まった黄色い虫の写真を小2の孫娘に送る。折り返しかかった電話で「これはチャドクガ。絶対触っちゃだめだよ。ツバキの葉などにいっぱい卵を産み付けてるかもしれないから、十分注意してね」ときつーいお叱り。...
View Articleバリウム検査
3年前、会社の検診で胃透視検査を受けた。その時もう二度とやらないと決めたのに……。今年定年退職予定の私は、最後だからと受けることにした。 しかし、段々募る不安。問題は狭い台の上でのすばやい体位変換だ。極め付きは台が傾き頭が下がる状況。両手で手すりをつかんでいるだけ。手を離したら絶対落ちる。ああ、やっぱり3年前と変わっていない。むしろ3年分、私の体力は落ちている。「早くして!...
View Articleコロナと空襲
この1年半はコロナに翻弄されて怖かった。それでも私がはっきり記憶している恐怖は小学生の時に体験した空襲である。 昭和20年、鹿児島でも米軍の空襲が始まった。学校の授業は空襲を避けて、山の中で行われた。空襲警報が鳴ると、防空頭巾をかぶり防空壕に避難する。8月には母校が焼夷弾で焼失し、間もなく終戦となった。...
View Article白昼夢
十万年前、地峡にはヒトという生物が存在した。それまでの地球の歴史で最も繁栄した生物だが突然絶滅した。その理由として主に2説が考えられる。 その一は環境の悪化を止められず地球の温暖化が進み、ヒトには耐えられぬ熱波が襲った。加えてウイルスのパンデミックにも襲われた。ヒトの化石の遺伝子の解析で類推できる。...
View Article爆撃機見た岩国の空
降伏はラジオの「玉音放送」で国民に知らされたが、幼かった私に記憶はない。まもなく進駐軍の車両が岩国市の街を走るようになり、これが占領下なのだと思った。 小学校に入学後、ほどなくして朝鮮戦争が勃発した。連日、岩国基地から出撃する爆撃機を見上げていた。1機が市内に墜落し死傷者が生じたこともある。ベトナム戦争の時も出撃基地となった。...
View Articleプールと語らう
日が陰り、涼しくなった夕方、誰もいない公園を一人歩く。芝生が刈り込まれ、いつでも活躍できそうなグラウンドが爽やかだ。その景色の片隅に、忘れ去られたプールだけが、静かに荒れていた。子供たちをとりこにした滑り台、ゾウの噴水……。こんな色だったかな。...
View Article野良猫と私
一切れの肉を与える優しさを、私はなぜ持たないのだろう。もし孤島に一人住むのなら、私は君に餌を与えるだろうか。独り占めの食卓のベーコンは美味しく、余りはしないが足りないこともない。が、君に分けない。分けない理由は、何かある?...
View Articleジャズライブ
コロナ禍の中、飛びっきりのぜいたく、ジャズライブ。 軽やかなピアノ、小気味よいドラム、懐の深いベースの響き。ほっそりとした女性の繊細で小粋なボーカル。おしゃれな空気がホールを満たしていく。 音楽っていいなあ。 ジャズであれ、クラシックであれ、ジャンルは異なるけれど、音楽が共通して秘め持つ言葉のいらない世界に魅了される。 一方で、言葉でもの書く私は言葉のいらぬ世界を持つ音楽に嫉妬してしまう。...
View Article父ちゃんはえらい
5年前から母の物忘れがひどくなり料理が作れなくなった。 父に「料理を覚えて作らんといかんね」と言ったら、「こんな歳になって箸しか持ったこつがないとん、なんで俺がせんといかんとか、おらせんど」と怒り、聞く耳持たなかった。...
View Article私は臆病な男
人が群がっているところには近づかないようにしています。 でも一度バスに乗っていた時、最後尾で酔っ払った人が、女子高校生の隣で下品な言葉を並べ泣かせていましたが、乗客も運転手さんも知らんぷり。 意を決し、凶器よけにバッグを手にして近づき、彼女の手を取り、自分の座席の前まで引っ張ってきて、座ってもらいましたが、途中でいかにも反社会的な人の膝にぶち当たる始末。...
View Article幸せな時間
父は焼酎が好きだった。口に含んだ瞬間、ブーンと匂いが漂った。 私が小学生の頃、よく飲んでいた。飲む瞬間の幸せそうな顔を見るのが好きで、よく見ていた。ある日父が「なめてみるか」と箸の先に焼酎をつけてくれた。すごく苦かったが、「こんなのよく飲めるな」とは言えなかった。 父の幸せそうな顔の源泉だとその時は思ったのか定かではないが、「ウーン」と聞き取れない返事をして父に大笑いされた。...
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